多文化共生について考えるブログ

多文化共生にまつわることが書いてあるブログです。

ベトナム版LINE:Zaloを通じてわかったこと

Zaloといえば、

ベトナム版のLINEといえばイメージできるだろうか。

zalo.me

インターフェースの言語はベトナム語と英語の2択。

デフォルトがベトナム語なので、設定で英語を選択して使ってみた。

 

そもそも、何でZaloを使ってみたのか?

対面で、顔の見える関係で、ていうのが一番イイのはその通り。

でも、自分はその環境に無いと判断し、

「んーじゃ近所のベトナム人で使っている人はいるかな❔」

「近所の人だったら、話が合えば友達になれるかも」

※Zaloには近所の人検索ができる機能があります。

っていうのが動機。

 

近所の人検索機能を使ってみたら。

検索機能を使う前に、便利な機能を発見。

何と、自分のことをどこまで知らせるかという設定ができる。

・年齢(●歳から●歳まで、という枠)

・性別(男性のみ、女性のみ、どちらも)

年齢は20-55歳を設定、性別は問わないことにした。

 

プロフィール設定して、GPSをオン!

あらあらあらら…

たくさん出てきました…

最近増えたなとは数字的にも感じていたけど、本当にたくさんいる…

スマホでページスクロールができるぐらい、だ。

しかも、20㌔圏内で…。

プロフィール写真から判断するに、若そうな子が多いように感じた。

 

 

自分の年齢をちょっとだけ振りかえり、

「いい歳して…」と思わなくもなかったが、

私の目的はやましいことでは無いので、まあヨシとした。

 

「そんなにすぐに友達ができるわけないだろう」

と謎のタカを括っていたら、

 

ピロン♬

 

と「友達リクエスト」が届いた。

しばらく待っていると、その後30分で4人の男性からリクエストが届く。

なんだなんだ、一体。

この辺で「マズったかな…」と少々怖くなり始めた。

 

スタンプ(Zaloにもある)のみ送られてきた方は、今回は無視…。

(私はそういうのは好きではない)

名乗り(日本語でもベトナム語でも英語でも)があった3名に尋ねてみた。

 

「あなたは、○○県に住んでいますか?」

「私は、○○県に住んでいるベトナム人と友達になりたいです。」

 

3人の内ひとりだけ、隣の県に住んでいることがわかり、やりとりをお断りした。

無尽蔵に友達を増やすことは、目的から外れているからだ。

 

そしてあとの2人とはお友達になって会話が始まった。

 

ひとりは日本語の習得に熱心な(だと感じた)男性A

もう一人はのっけから「恋人が欲しい」と淋しさ全開な男性B

2人とも技能実習生だ。

 

ふたりの違い

しばらくやりとりしていくと、2人には歴然とした差があることがわかってきた。

Aくんは、丁寧に自己紹介をした後、目的を明らかにした。

「日本語の勉強をがんばりたいです。わからないことがあったら聞いていいですか」

そして、実際にいくつか質問をされた。

質問の回答に対する受け答えも熱心な学習者という感じだった。

夜勤もこなす中できちんと休み、勉強もし、休日には出かけて友人と会う。

日本にいる間にしっかりと技能知識を吸収していこう、という気概が感じられた。

 

それに対してBくんに対して私が感じたのは、ひとことで言うと

チャラい

「淋しさアピール」にも早々に嫌気が差した。

素直、と言い換えればそう言えなくもないが、

終戦後間もなくの

" Give me chocolate! "

を連呼する子どものような幼さを感じた。

 

日本語の間違いが在住期間に比して多いような気がした。

直してくれる人が周りにいないんだな、と思うと心が痛んだ。

 

Zaloは手軽に友達になれることはなれる

翌日までにあと5人の男性からリクエストを受けた。

うち2人はしつこく挨拶してくるなどするので、

既婚であることと年齢を告げると応答が無くなった(笑)

ひとりは英語で何やら下品な誘いをかけてきた。

(「あなたも淋しいんでしょ?」みたいなヤツだ。

「も」って決めつけないでほしいわ。)

 

文化の違いとか多様性を認めようとか、

そういう話が通じない層がいる、というのが実感として腑に落ちた。

チャットとなると人格変わる、みたいなこともあると思うので、

日頃相当窮屈にお暮しなのかな、と思った。

 

要するに、友達になれることはなれる。

でも、善からぬ動機を持った人も一定数いるので自衛が大事。

…というごくありふれた印象をZaloに対して持った。

別に他のSNSと変わらない…。今考えると当たり前なんですけどね…笑

 

 

そしてアカウント削除&アンインストール

Aくんとはやり取りを続けたかったが、

Bくんの相手がしんどいので、アカウントを削除してアンインストールした。

インストールしてから1週間後のことだった。

この手軽さ…実際に顔の見える関係ならこうはいかない。

この手軽さに乗っかった自分は浅はかだったと思う。

でも、わかったこともあった。

 

わかったこと:技能実習生をステレオタイプで捉えてはいけない

技能実習生にまつわる悲しい出来事が頻繁に取り沙汰されているように感じる。

制度のマズさに起因した問題は確かに多いと思うし、

同制度は国際的な批判も受けている。

家に仕送りをしている技能実習生は本当に多い。

借金をしてくる子も確かに存在する。

 

でも、だからといって

「実習生=出稼ぎ=かわいそう」

というステレオタイプに陥って、闇雲に思いやったりするのはどうかと思う。

なぜなら、当の実習生の心構えに起因する問題もあると実感したからだ。

 

例えば、Aくんは与えられた環境・機会を生かして頑張っているように思えたが、

Bくんは現状に対して不満を持っている「だけ」のように思えた。

毎日定時にあいさつし、今何しているかと聞き、返事が無ければ「きらいになったのか」などと言い、相手の都合も考えず淋しいと訴える。

ハッキリ言って、日本人であってもこんなコドモはお断りだ。

 

今回ある意味身体を張って(?)やってみた結果、

自分が「実習生はかわいそう」というステレオタイプを持っていたことがわかった。

物凄く恥ずかしい。

 

数年前、フィリピンマニラ市のトンド地区という、

マニラ市の最貧地区といわれる所でお宅訪問をした時のことを思い出す。

見た目はお世辞にも良いとは言えない、

トタンで囲われた、風が吹けば飛びそうな家を数軒回った。

異様に緊張して入って行ったが、中に住む人たちは皆笑顔で、精一杯暮らしているという印象を受けた。また、卑屈なところなど全く見受けられなかった。

丁重な湯茶接待を受けながら、私は

「勝手に可哀想と思ってごめんなさい」

と猛省したはずだったのに。また、やってしまった。

 

でも、こうやっていっこいっこ、

自分を縛るステレオタイプを脱ぎ捨てていく。

その度に、共生とか理解とかに近づいていける気がする。

 

 

多文化共生ってナニ?

いったい、多文化共生って、何?

国際交流のことじゃないの?…でもなんかちょっと違うみたい…

この辺は田舎だし、そんなに外国人いないから、関係無いかも?

あ、でもそういえば。

見たことある。自転車で走ってるなんかアジア系の人。

高校生は並んで走ってて危ないんだけど、

あの人達はちゃんと一列で通ってるんだよね。

両手にいっぱいスーパーの袋を提げて歩いてるのも見たことある。

スーパーか、じゃあ、住んでるのかな?

どこに住んでるのかわかんないけど、どっかにはいるんだろうな。

この辺、車が無いと不便なのに、…。

外国人って、免許取れるんだっけ?国際免許???

取れても車買えるのかな?あ、いや、貧乏っていう意味じゃなくて。

うーん、自分が外国で生活したことが無いから想像つかない。

あ、そうか。

共生ってそういうことか。一緒の所に住んでるってこと。

…うん、ちょっとだけ、多文化共生がわかった気がする。