多文化共生について考えるブログ

多文化共生にまつわることが書いてあるブログです。

そりゃあ英語は世界の共通語ですけどね?

英語は世界の共通語。これは事実。

でも、英語が公用語ではない国はたくさんある。

英語が公用語であっても、地域によっては通じなかったりもする。

これも事実。特段驚くことでもない。

 

でも、日本人でよくあるのが

 

外国ではどこでも英語が必ず通じる

だから、英語さえできれば何とかなる

 

という思い込み。固定観念

これが時々、喜劇に似たちょっとした悲劇を引き起こしてしまう。

今日は、私が見た「喜劇に似た悲劇」について話す。

 

ベトナム都市部への出張3日間。

着いた日の会食の相手は、英語も話すベトナム人たち。

 

「私は彼のファンです。」の "fan" が、

発音が悪いがために通じない様子の同行者Aさん。

しかも

「アイ・アム・ファン」と、

わざわざ区切る必要のないところで区切っていて、余計通じない。

結果、「私、楽しい人なんです。」と

よくわからない自己紹介を改めてしている、

みたいな感じになってしまっていた。

Aさんは初参加のため、現地の人との信頼関係がそこまであるワケでも無いので

言い聞かせられたベトナム人も「?」ってなってた…

「楽しい人なんだな?この人は。」

みたいな。

(私は「あらま」と思いつつ、

 コントみたいだと思ったら笑いをこらえるのが大変だった。)

 

うなずいてはいたけど、Aさんが欲しかった反応とはたぶん違う。

Aさんは、

 

「え!そうなんですかー!!」

 

みたいなリアクションが欲しかったんだろうと思う。

 

話に入って行きたかったAさんにとっては、出鼻をくじかれる格好になってしまった。

でも、こういう思ってたことと違うのって、日本でもよくあること。

通じなくて恥ずかしいとか思っても流して次の機会を狙えばいいと思う。

 

だけど、Aさんは

 

A1:ファンって英語じゃないの?何で通じないの?

 

とボヤいていて、これがちょっと引っかかった。

というのも、

 「何で通じないの?」これが

何で英語が通じないの?

という意味なんだったら、ちょっとマズいな。と。

 

逆に通じなくてなんか恥ずかしくって、

言い訳みたいにボヤくのは人間臭くて好きだな(笑)。

できれば、

 

「あー通じなかった。悔しい(恥ずかしい)なあ」

 

みたいに本音を言ってくれるとフォローしやすいなと思う。

言動が素直な人は思わず助けたくなる。

Aさんの言動は素直だ、とは感じなかったので放置…。

  

その翌日。現地の人へのヒアリング調査の場で

やはり英語で現地の人に話しかけたAさん。

現地の人からはまたしても「?」っていう反応が返ってきた。

再度同じフレーズを繰り返しても同じく「?」のまま。

 

多くの日本人と違い、彼らはわからなければわからないなりの反応をする。

もう「わからんモンはわからん!」っていう毅然とした反応。

まさか「すみません」とか言って愛想笑いしたりしない。

場はちょっとした緊張感に包まれた(体感30秒…汗&笑)

英語を話す現地通訳がベトナム語で質問しなおして、答えが返ってきた。

 

次のヒアリング場所への移動中にAさんがこぼしたのが、

 

A2:  英語も通じないなんて…。

 

これ聞いてしまって、

 

 (;゚Д゚) あ

 

…ってなった。

「やっぱりか~」っていう、昨晩の疑念が嫌な方向で晴らされた感。

 

「…」に込められた思いがどんなものだったのかは、わからない。

わからないけど、なんかヤな感じ。

私はその後、Aさんに対してちょっとモヤっとしながら接した。

 

モヤっとしたのは、

多文化共生の考え方を知る前の私も、Aさんと似たような感じだったから。

A1、A2 みたいなフレーズを口に出すことはあまりなくとも、

結構な頻度で頭に浮かべてた。脊髄反射的に。

(思い込みとか固定観念てそういうモン。)

 

で、そう思いながら接していると、不思議と「薄い壁」が生じる。

 

なんか伝わってない気がする…

なんかわかんないけど信用されてない気がする…

 

想像以上に伝わってしまう。

大体は気のせいなんだけど、

こんな風に思っていることを隠すように自然と振舞ってしまうので、

伝わるのかもしれない。

 

でも、思い込みを捨てて、前提を変えた途端に

言葉が通じなくても(実際あまり通じてない気がするのは事実 笑)

コミュニケーションが取れるようになった。

 

つまり、外国人だから、というより

違う人間なんだから、伝わらなくて当たり前

世界の共通語でも通じない人がいる、それも当たり前

って前提を変えたら、

相手の言っていることや言おうとしていることが感じられるようになった、ということ。 

 

共通語だから通じるはず

私が話してるのは英語だから通じないとおかしい

 

信頼関係もできていないうちから、こんな風に期待すること、

それ自体がなんか変。

それに、英語がどこでも通じるわけじゃないのはベトナムだけじゃない。

日本だって同じことじゃないか。

 

通じないから国としてレベルが低い

だからいつまでも途上国

 

こういうのもたまにだけど聞く。

それならば、「日本も同じ穴のムジナ」だと言いたい。

 

英語は世界の共通語なのは事実。

でも、現地に行ったらまず現地語なんじゃないかな。

現地で英語を使ってくれている人は、気を遣ってくれてるんじゃないかな。 

 

さてさて、Aさんはその後「ベトナム人で日本語を勉強している人」や

現地で働く日本人としか話さなくなってしまった。

通訳が付いているにもかかわらず、だ。

でも途中でベトナム人たちが話す日本語が

「正しくないからよくわからない」

と言い出した。

ただ、ベトナム人たちもまた、Aさんの言うことがよくわからないと言う。

 

英語とベトナム語は、文の構造がよく似ている。語順が似ているというか。

それを伝えて、

 

ーなるべく易しい言葉を、英語の語順で並べ替えるとわかりやすくなると思いますよ

ー敬語は取った方がいいですね

 

等伝えると「それは美しい日本語ではない」などと言いつつも、

ひとまずやってみてくれたことは嬉しかった。

すると、彼らの反応が変わったので、楽しくなったようだった。

帰国直前のことだった。

 

相手の文化に寄り添って工夫するっていうと大げさかもしれないが、

あるものに工夫を加えたり、わかってもらいたいならそれなりの努力をする。

それが相手の文化に寄り添うってことのひとつだと改めて感じた。

 

ベトナム語も日本語も、世界の共通語じゃないけど。

どちらの国も、英語はあまり通じないことが多いけど。

どちらの国もレベルが下とか上とか、別に無いから、

わかってもらえるように努力することが大事だなあと思った。