「何とかしてあげなきゃ!」が活動をダメにするんじゃないのかなあ
もしあなたが言われるならどっち?
A.「何とかしてあげなきゃ!」
B. 「こっちへ来てみ?楽しいよ~」
1年ほど前の、くまモンの生みの親・小山薫堂(こやま・くんどう)氏の記事
で、ぐるなび創始者の滝久雄(たき・ひさお)氏の著書「貢献する気持ち」の内容を述べた箇所があり、
滝さんの『貢献する気持ち』という本には、貢献活動には「愛」から発するものと「憐れみ」から発するものの両方があり、憐れみの感情には自尊心や虚栄心とのすり替えが起こるのに対し、愛には本能的な与える喜びがあると書かれている。
こ、これだー!!(猛烈な共感)
と思った。
AMDAの菅波茂氏が提唱する
「スポンサーシップではなくパートナーシップを結ぶべき」
も本質は同じだなあと。
つまり、
A. 何とかしてあげなきゃ!
この考え方由来の活動は憐れみから起こっているということ
かわいそう
放っておけない
これも同じ。
昔々「かわいそう」と言われ、
心の底から同情された気がして吐き気がするぐらい嫌だった。
「この制度はダメだ!」
「こんなに苦しいのにわかってくれない」
とかも同じカテゴリのような気がする。
ダメ出ししたって良くはならない
拗ねていても事態は動かない
ってこと。
この考え方をしていくうちに、
数ある外国人支援団体や、NPOのような非営利組織を見る目が変わった。
(そもそも、支援っていう言い方があまり好きではないけど他に言いようが無いんだろうか~)
どんな風に変わったか?
代表者や実質的に取り仕切っている人の書いたものを読んだり、
インタビュー記事を読んだり、実際に話したりすると、
その団体の活動の動機が見えてくる。
その動機が、
A. 何とかしなきゃ!
みたいなモンだと感じたら、将来性を感じなくなったっていう風に変わった。
代表者や幹部が楽しんでいれば、その動機は滝さんのおっしゃる「愛」だろう。
でも、「憐れみ」だと何かに依存していって、
最後には活動そのものがダメになる…と今は感じている。
自分も「技能実習生=かわいそう」というステレオタイプを持っていた。
そうすると、まあなんと、かわいそうなニュースばかりが目に付く。
感情が先走って本質を見失う。
かわいそう、という気持ちで接すると、共依存的になる。
「そういう考え方」をする人が集まってくるようになる。
・・・なんか、しんどい(笑)
同じ目線に立てとか相手の気持ちになってとか言うけど、その前に。
何とかしなきゃ!
こう考えるよりは
B. 「こっちへ来てみ?楽しいよ~」
っていうほうが自分が楽しい、だから活動としても健全。
活動をダメにしたくはないので、Bの動機で活動をしていくことに決めている。